わたしはとてもトイレに行きたい。尿意を耐えるために股間を押さえたくなるくらいに。しかしそれはできない。なにしろわたしは淑女なのだ。誇りがあり、世間体があり、どこまで耐えられるのだろうという超人を志向する思想があった。意思は肉体を凌駕する、そう信じており、実践し、折に触れ下級生に同級生に語っていた。ある種の約束、人と約束するのではなく、わたしはわたしと約束をしたのだ。今までなんとかなった。だから今回だって大丈夫。自信が胸にわき、トイレに向かうべく足を踏み出した。腿を伝って栄養価の豊富な尿があふれだした。あれ、なんで、どうして?意思は肉体を凌駕するはずなんですけど、えっと。足下に黄色の水たまりができてゆく。身体が震える。排泄がもたらす気持ち良さが脳を焼く。身体が震える。ため息が洩れる。涙がにじむ。最後のひとしずくがアスファルトに落ちる。わたしに到来したのはおそろしくなるくらいの静けさ。周りを見回す。誰もいない。誰も見ていない。安心しかけて、絶望する。誰でもない、わたしがわたしを見ている。学生鞄から護身用の短刀を取り出す。頸動脈に刃を触れさせる。一息に自分の首を掻ききろうとする。できなかった。ものすごい力で腕をつかまれていた。おばあさんがわたしを見上げている。おばあさんは首を振る。彼女の足下には体重数十キロはあるバーニーズ・マウンテンドッグがいて、水たまりに下を触れさせている。水分補給。栄養補給。ある種の食物連鎖。おばあさんは強引にわたしの手を開かせ、飴ちゃんを握らせる。「これで取り引きは成立さ」そう言って、おばあさんは犬の背に飛び乗って、手綱を操る。立ち去った。わたしは飴の包みを見る。おもらしした尿と同じ色のレモン飴。舐める。すっぱい。足下の水たまりに視線を落とす。ころころと口の中で転がしている飴と同じ色なのだから、同じ味がするのかと考える。確かめてみたくなる。思想の壊れたわたしに怖れるものなどない。いかなることでも実践して見せよう。新たな意思、新たな勇気。ひざまづく。地面に両手を突く。水たまりに舌先を触れさせようと近づけてゆく。