単独でありたいという願いと、より偉大なものの一部になりたい衝動が混ざり合っている。わたしはものを見るごとに、単独と全体を見いだそうとする。同時に満たすことはできないものだろうか。単独でありながら全体である。これはいったい、なんなのだろう。わたしは巡礼の旅に出る。壁にぶちあたった人間が選択しがちな行動そのものである。いいのか悪いのか。わからないままに各地を旅して回る。いろんなものと出会う。単独なるものも全体なるものも。微少も、そうでないものも。わたしは滝に打たれる。全身に金属を取り付けて比喩ではなく雷に打たれる。そして気付く。わたしは単独であり全体に属している。わたしそのものが全体となればいい。全体である単独となればいいのではないだろうか。しかしどうやって?首をひねる。ふと周りを見渡す。そこには単独があり、なにもかもがある。ふと、それらがわたしの一部であると思えた。すると、視界に入っているもの、そうでないものがわたしのなかに入ってくる。いや、違う。わたしだったことに気付く。わたしの振る舞いが全体にデプロイされる。フィードバックそのものがわたしとなる。願いと衝動が叶う。そして周りを見渡す。ふと気付く。周りがあるということは、これはわたしではない、全体ではない。より偉大なものを見いだすに至る。