膨大なリストが目の前にある。リストにはありとあらゆることが並んでいる。お買い物、不可侵条約の破棄、などなどである。わたしはリストの膨大さにうんざりしてしまう。なにしろ宇宙がうまれた瞬間から生じた、森羅万象から生じた課題がすべて書き出されているためだ。できるわけがない。けれど介入はできる。あるいは、リストに線を引いて、終わったことにすることも。だからわたしはそうする。わたしは不可侵条約の破棄に線を引く。ニュース/敵国領土への電撃的な侵攻速度というキーワードがメディアを埋め尽くす。ワーイズオーバー、ワーイズオーバー!なるほど。わたしはリストに目を戻す。リストの最上段に目をやる。一番重要なことがそこにあるはずなのだ。そこに書いてあるもの。いや、書いてあるという表現は正しいのか。それは文字であり形であり音であり無であり、それらいずれでもなかった。すべてだった。リストは線を引かれるべく待ち望んでいる。すべてが消されるべきものとしてそこにある。そしてわたしは首をかしげる。「すべてを大切と扱うの、TODOリストでやってはいけないのでは?」では、なにが重要か?並ぶリストのすべてがもっともらしく、すべてがどうでもよく見えた。なのでわたしはペンを握り、左から右へ、リストを1つずつ線を引くのではなく、リストの上から下へ、垂直に線を引いてゆく。すべてがほんの少しだけ終わったことになる。ニュース/かわいい動物が子どもを産んだとか、タンカーが横転したとか、すれ違いざまのドロップキックが合法化されたとか、そこにはなにもかもがあるけれど、なにもかもがほんの少ししかない。