我が家にスマートスピーカーを導入した。声で目覚ましをセットできたり天気を確認できるのは便利だった。そして誰もがするようにいろんな質問をしてみることにした。確たる答えが返ってきたり、わからないの一点張りなこともあった。話しかける、スピーカーの持つ道具性を十全に堪能できた。ふと疑問が生じる。スマートスピーカーは沈黙にどう対応するのだろう。あるいはジョン・ケージの音楽にはなんと答えるのだろう。気になった。試してみることにした。有休を取り、スピーカーの前に陣取った。スピーカーを見つめたまま沈黙する。無反応、無反応、無反応。わたしは無駄なことをしているのではないだろうか。そんな疑念が消失するまで自分に沈黙を強いる。静か。だからこそ耳があらゆる音を聞き取る。スピーカーを構成する回路を走る電子の音までもが聞こえた。聞くのではない、聞き取ることで耳に届くものがあるのだ。声がする。耳を傾ける。なんらかの言語。翻訳できない。声を出して翻訳を頼みたくなるのをこらえる。耳を傾ける——もはやわたしが耳の一部になりつつある。万物が逆転する。スピーカーがわたしに問いかける。わたしが答える。確たる答えを告げたり、わからないの一点張りなこともあった。わたしは答え続ける。背後からものすごい音がして、飛び上がってしまう。家の扉が蹴破られる。会社の上司とマンションの管理人、それから警察官が戸口に立っていた。首をかしげる。スピーカーに向き直る。今日の日付を問いかける。3カ月の経過を知る。